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はるかなる秘密基地への帰路 ― GOD SAVE THE すげこまくん! の建築

安田英之

 孤児が帰るべき家を見つける、という構造の物語はけっして珍しくはないが、 永野のりこの『GOD SAVE THE すげこまくん!』[1] をはじめとする作品では、その〈家〉の様相が大きく異なる。
 本稿では、永野作品における建築のいくつかについて考察することで、 消費社会における〈家〉の困難さを検証する。

二人の孤児

 『すげこまくん』の松沢まみ子が孤児、それもおそらくは捨て子であることは、 物語中で明確に示されている。
 一方、すげこまの境遇については、 意図的とも思えるほど物語中では触れられていない。 クローン人間説まで出ているほどである。とはいえ、 家族・保護者を思わせる人物はまったく登場せず、 少なくとも実質的には孤児であるし、まみ子と同じく誕生日を知らない、 というエピソードからは捨て子である可能性もある。
 この〈孤児〉が、分断された個としての現代人の象徴であると考えれば、 永野のりこのあらゆる物語に流れる基本的モチーフである〈孤独な魂の救済〉が、 ここでもまた主題となっていることがわかる。
 第1巻第13話の以下のモノローグに見られるように、 まみ子はすげこまの孤独をいち早く理解している:
でも この子の問題行動のすべては
救いを求める叫びだとしたら?
この子の心の苦痛のせいいっぱいの表現だとしたら‥‥
この子はさびしいんだわ とても
自分でもどうしていいかわからないくらい
物語を通じて頻繁に現れるすげこまの少女漫画的内面描写とは対称的に、 まみ子の内面の表現が極端に抑制されているのは、 このシーンを浮かび上がらせるためだとさえ思える。
 そして以降の 12巻は、そのほとんどがこの「問題行動」の描写に費される。

はじめて帰る〈家〉

 物語の終盤で、 〈孤独な人間であるお前が他人を孤独から救うことはできない〉 〈お前は自らが救われたいだけではないのか〉 というすげこまの問いに対して、まみ子は 〈孤独な人間は他の孤独な人間のために祈ることによって自らもまた救われる〉 という答を身をもって示す。
 そして十年後、まみ子のために祈ることを知ったすげこまに対して、まみ子は
はじめて帰るかんじがする‥‥「家」に
という表現で、すげこまを受け入れたことを告げる。 ここでの〈家〉とは、まみ子にとっての「ちびっ子ハウスではない帰るおうち」、 すげこまにとっての「ぼくの住む星」であり、 孤独な人間が孤独を癒せる唯一の場所である。
 しかし、
だって先生一度も
そんなふうに「家」に帰ったことなんてないのに
という台詞にも示されているように、それはわれわれが体験したことのある家庭、 今までの家族制度に基づく家庭ではない。

秘密基地としての家

 物語の最後で二人がたどり着くのは、すげこまの家 = 秘密基地である。
 永野作品に登場する秘密基地的家としては、すげこま邸のほか、 歩野秘密科学研究所 [2]・岸渡家 [3] などが思い浮かぶが、ここではテーマ的に本作品にもっとも近い『KEN にいちゃん』[4] における「ホントの家」である秘密基地、 「ベルヒデンスガーデン」に注目したい。
 凍土の果てにあるというこの基地は、その内部構造や備え付けられた怪しげな 器具が数十コマに渡って綿密に描写されているにも関わらず、建物の外見については、 おざなりなドーム状の外観がたった二つのコマで示されているにすぎない。 この建築意匠への無関心はどこから来るのだろうか。
 この点を考察するため、ここではさらに、『すげこまくん』第11巻第10話で ヨシオがまみ子を監禁する廃アパートに目を向ける。 ヨシオはここを、「えむ子ちゃんにナイショで探していた新しい部屋」 と呼んでおり、ヨシオの意識の中ではあくまでも〈家〉として存在している。 この〈家〉が持つ、無装飾の四角い国際様式、 薬物による拉致といった属性からは、まだ過去とは言えない時期に 大きな注目を集めた一つの建築が連想される。
 オウム真理教のサティアンである。

建築意匠とともに空虚化する現実

 オウム真理教の修行と共同生活の場であったサティアンについては、 森川嘉一郎が建築論・社会学的議論をサーベイしている [5]。論者のほとんどは、サティアンの最大の特長はそのデザイン = 建築意匠への無関心にあり、 それは情報化技術の進展が招いた現実空間の仮想化に伴い、 現実の場を装飾することへの関心が薄れたことによるものだとしているという。
 この因果関係を認めるか、あるいは逆に、 〈大いなる物語〉を喪ったことによる現実空間の虚構化を補うための、 せめてもの手段として情報化技術があるのか、 という鶏と卵の議論の余地はあるとしても、結果として、 たしかにわれわれは建築意匠を空虚な記号としてしか捉えられなくなっている。
 実際、すげこま邸・歩野秘密科学研究所・ 岸渡家がイギリス系の洋館風の建物であり、 ベルヒデンスガーデンがモダニズム建築であるという点について、 ディズニーランド [6] のウエスタンランドとトゥモローランドとで建築意匠が異なる (しかし建物の内部および機能には差がない) という以上の意味を見出すことは困難である。
 もし、この意匠の無意味化が、現実そのものの空虚化と並行する現象だとすれば、 はたして〈家〉が「ホントの家」でありつづけることは可能なのだろうか。
 案の定、後日談である『すげこま特別編』[7] において、すげこまは二人の関係を、 幻想に基づく「三太・まみ子」あるいは師弟関係である「松沢先生・すげこま」 としてしか認めようとせず、現実の対等な男女関係である「すげこま・まみ子」 を受け入れることができないでいる。その延長上に、 現実の世界を拒否する「すげこまクローン」も存在する。
 まみ子が「すげこまクローン」を許容して抱きしめることによってようやく、 世界 =〈家〉が破綻を免れているほど、この〈家〉は脆弱である。

おわりに

 とはいえ、たとえ「ワケのわからんヘンな本や物体がびっしり」[8] であろうと、 そこ以外にわれわれの帰るべき家は存在しない。 そこを「ホントの家」にしているのは、 二人が共有する記憶と、互いへの祈り、という、 社会的・経済的基盤に基づく従来の家族制度と比べて、 非常に不安定なものである。
 それでもなお、われわれにできることは、その危うさに
うまくやれるのか
こわれないか
ずっといっしょにいられるか
[4] と脅えながらも、 これからもその秘密基地に住みつづけることだけではないだろうか。

参考文献

[1]
GOD SAVE THE すげこまくん!, 全12巻, 永野のりこ, 講談社, 1993年1月〜1998年3月.
[2]
みすて♥ないでデイジー FOREVER, 全2巻, 永野のりこ, アスペクト, 1996年2月〜3月.
[3]
STAND★BY み〜ちぇ!!, 第1巻, 永野のりこ, 講談社, 2000年4月.
[4]
どーしちゃったの!? KEN にいちゃん!, 永野のりこ, ワニマガジン社, 1994年9月.
[5]
戦後日本文化と建築意匠の相関の研究, 第1章: サティアンをめぐる言説, 森川嘉一郎, 早稲田大学大学院建築学, 1996年度修士論文.
[6]
ディズニーランドという聖地, 能登路雅子, 岩波書店, 1990年7月.
[7]
GOD SAVE THE すげこまくん! 特別編「SWEET LITTLE 17」の巻, 永野のりこ, 別冊ヤングマガジン No. 10, 講談社, 2000年7月1日.
[8]
叱ってダーリン, 永野のりこ, 通巻142号, EYECOM, アスキー出版.
初出: Lunatic VII (ミミちゃん)

YASUDA Hideyuki
Last modified: Mon Dec 31 23:08:47 PST 2001
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