切妻屋根としての猫耳 ― グリーンゲイブルス

むろん中には猫耳に何の感慨も持たない人間もいる。 むしろ惹かれる側の人格が疑われることさえある。 しかし、マンガ・アニメ・ゲームで頻繁に題材とされ、 近年ではイベント・ドメインまである猫耳という存在には、 現代消費社会の底流に通ずる普遍性を感じざるをえない。
本稿では、いまだ確立されざる少女建築評論という分野を模索する一環として、 猫耳を切妻屋根という視点で解釈することを試みる。
捨て猫というモチーフ

雨の町をさ迷う孤児が、箱の中で鳴いている捨て猫と出会う、 というおなじみのシーンから、 共感し合う両者を融合した猫耳孤児という設定が生まれるのは必然であろう。
猫耳の記号性

しかしこの考察には、なぜ「耳」でなければならないのか、 という観点が抜け落ちている。
たしかに、猫耳少女において、 耳以外の器官がまったく無視されているわけではない。 尻尾つきのキルティング袋に納められた画集 [3] に見られるように尻尾という器官は耳に次いでよく持ち出されるほか、 肉球つきの手袋・足袋としての猫手・猫足もしばしば目にすることができる。とはいえ、 それら他の器官が取り上げられる頻度は猫耳に比してはるかに少ない。
さらに根源的な疑問として、なぜ「猫少女」ではなく「猫耳少女」なのか、
という点がある。捨て猫としての出自が重要ならば、
それを直截的に言語化した「猫少女」の方が自然に思える。
わざわざ「耳」を強調するのは、実在する動物としてのネコではなく、
純粋な記号としての猫耳の方が重要だといわんばかりである。
実際、チビ猫においては一応は生来のものであった猫耳は、
でじこに至っては猫耳帽という服飾品に堕し、いっそう記号性を深めている。
緑の切妻

ここでわれわれはいったん猫耳を離れ、 孤児というモチーフに立ち帰ることとする。
孤児を主人公とした少女趣味小説は、 名作劇場シリーズの原作をはじめ数多く存在するが、 ここでは『赤毛のアン』[4] に着目する。この作品の原題 "Anne of Green Gables" の「グリーンゲイブルス」は、 アンが養父母となったマシュウやマリラと住む家の屋号、 「緑の切妻」を意味する。
グリーンゲイブルスのモデルとなった家は、 カナダのプリンスエドワード島キャベンディッシュ村に今も残る [5]。 白い下見板の外壁と緑の大きな切妻屋根を持つ二階建てで、 北米に共通するアメリカンコロニアル様式の系譜につながる清楚なものである。
この様式はまさに作者モンゴメリの少女期にあたる明治初期に日本に導入され、 北海道開拓地の洋風建築、高原のペンションを経て、 最終的には田園都市線沿線のショートケーキハウス [6] と呼ばれる建売り住宅に通ずる、日本少女趣味建築の一つの流れを形成する。
切妻屋根の象徴するもの

ペンション派の外観においてまず目につくのは勾配のきつい屋根である。 一般に、屋根はその下に覆われた空間を、他の部分から区別する働きをする。 勾配がきつい場合にその働きが強くなり、覆われた空間では的な性格が強まる。 一方、勾配が緩い場合には逆に求心性が弱まり、周囲への拡散性が優位にたつ。 ペンション派住宅のきつい勾配を持った屋根は、家庭の求心性、 家族の強い団結の象徴である。孤児であったアンにとって切妻屋根がようやく得た家庭の象徴であると考えれば、 物語の最後で、このグリーンゲイブルズを売らずにすませるために、 アンがようやく勝ち取った大学進学をあきらめて村に帰るのもうなずけよう。
記号化された切妻屋根

1970年代のポストモダニズム以降、切妻屋根は復権しつつはある。 ポストモダンの記念碑と呼ばれるフィリップ・ジョンソンの AT&T 本社ビルは古典様式の
しかし、近代以前の建築とは異なり、 現代の鉄筋コンクリート造の集合住宅の頂上にとりつけられた切妻屋根は、 機能を失って完全な装飾と化していることに着目する必要がある。
われらが内なる猫耳
この「上に載った三角の記号」という点で現代の切妻屋根と共通する猫耳が、 孤児である猫耳少女にとっては失った幸せな家庭の代償である、 というのが本稿が提示する仮説である。われわれが猫耳に惹かれるのは、 消費社会を生きるものとして現代の家族にリアリティを持ち得ないわれわれが、 近代以前の家族制からあらかじめ捨てられた孤児だからにほかならない。
われわれがでじことともに猫耳帽を脱ぎ捨てることのできる家とは、 いったいどのような建築なのだろうか。
参考文献

- [1]
- 綿の国星, 第1巻, 大島弓子, 白泉社, 1994年 6月.
- [2]
- デ・ジ・キャラット公式コミックアンソロジー, コゲどんぼ他, メディアワークス/角川書店, 2000年 4月.
- [3]
- CHOCOLA, コゲどんぼ画集, ブロッコリー, 1999年 12月.
- [4]
- 赤毛のアン, L. M. モンゴメリ, 村岡花子訳, 新潮社, 1954年 7月.
- [5]
- 『赤毛のアン』の島へ, 塩野米松, 文藝春秋社, 1990年 2月.
- [6]
- たそがれ時に見つけたもの ― 『りぼん』のふろくとその時代, 大塚英志, 太田出版, 1991年 4月.
- [7]
- 10宅論, 隈研吾, 筑摩書房, 1990年 2月.
- [8]
- 帝冠様式 ― 建築における屋根の否定と屋根の復活, 宮内康, 現代建築 ― ポスト・モダニズムを超えて, 同時代建築研究会著, 宮内康・布野修司編, 新曜社, 1993年 5月.
- [9]
- 戦時下日本の建築家 ― アート・キッチュ・ジャパネスク, 井上章一, 朝日新聞社, 1995年 7月.
- [10]
- 私の家と母の家 ― 母体建築論序説, 五十嵐太郎, 10+1 別冊 20世紀建築研究, 20世紀建築研究編集委員会編, INAX 出版, 1998年 10月.

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